2017年12月15日 世間は金曜日
久々の長旅(当社比)に期待を込めながら、スーツケースを引いてT-CATの構内を歩く
恐らく起きているであろう同行人*1に、「生存確認」とLINEを送ったところ、
< 寝坊!!!!) (原文ママ)
・・・。
幸先のいいスタートを切った
国内の各都市名がズラリと並ぶ様は圧巻 旅の始まりって感じ ええな
BAGGAGE DROP
ハイテク機器におじさんびっくり
でもタグ付けとかは自分でやるんだね
SFJ11 HND→UBJ
人生二度目のスターフライヤー
黒い機体に期待を乗せて(激寒)
これに1万円弱で乗れるんだからいい世の中じゃ
それっぽいコラージュを挿し込む
右上から 小牧 岡山 広島 岩国
そんなこんなで山口宇部に到着✈
雲量0 快晴 グヘヘ
申し訳程度の国際線ターミナル 地方空港なら大体こんなもんなのかな
特急バスで下関へ
かんもんきょー 今度はちゃんと降りて見てみたい
この背後にあの壇ノ浦PAがあるんですね ???「ねね寝れないんだよ」
ふぐが出迎える下関駅に到着 4月に関釜フェリー乗ったとき以来の訪問
あの時は出航まであんまり時間が無くてバタバタしてたなぁ
モスバーガーで腹ごしらえして本日のメインである宇部線/小野田線へ
風に誘われてやって来たのよ
新山口駅については次の記事で触れることとしよう
ひとまず乗り潰し 宇部までのんびりと走る
・・・という予定だったのだが、乗っていた列車が行き違いなどで4分遅れ
来た道に向かう列車への接続などある筈も無く、進路が開いて速攻で発車・・・
予定外ながら宇部でのんびりする時間が出来ました
少し寂しい駅前
この辺からお天気下り坂
国鉄のターミナルに乗り入れる私鉄の雰囲気が漂う 事実そうだった訳だけど
気を取り直して新川へ
こちらが宇部市街地の玄関口といった感じ
やっぱり宇部興産の影響なのかな
でっかい工場と空港の近さ、割と魅力的な街かもしれん
黄色い奴らの寝床 末期色も悪いもんじゃないとは思う
123系に乗るっ
1両ごとに特徴があって飽きさせない。なんなんだコイツら・・・
小野田でもとんぼ返り
短い電車は帰路に着く学生を運ぶ
1998年4月1日 無人化
この時から時間が止まってしまっているのではと錯覚する
木製の架線柱に残された看板の破片 かつては何を標していたのだろう
一文字目は「宇」だろうか
この辺りで雨が降り始める
ただでさえ日没早いんだから勘弁しちくり
小野田港から歩いて数分の駅は、かつてセメント町駅というド直球な名で呼ばれていたらしい
由来は言うまでもなく、駅の西側に広がる小野田セメント(現:太平洋セメント)。
住所に「セメント町」って書く人の心境も聞いてみたい
Y字のホームを持つ雀田駅は、いかにも工業路線といった趣の分岐駅
ホームの間には窮屈そうに挟まれた簡易委託の駅舎がある
長門本山行の終列車に乗り込んだ10名あまりの乗客 半数以上は同業者だった
幼い頃読んだ雑誌のとあるページ、茶色い電車がポツンと佇む写真を見て、
「これはヤバい」と、確かに思ったのだ
十数年の時を経て訪れたこの地、ヤバい。
もしも旧型国電が現役の頃に来ていたのなら、卒倒している自信さえある。
程よく満喫できる時間停車した後、列車は宇部新川へと踵を返す
反対側には105と123の併結が・・・
名残惜しさもありつつ下関へと戻る
山陽線 普通 下関 宇 部→下関
箱型スピーカーは正義(ただし肉声放送に限る)
40分ほど揺られて下関
九 州 方面 の4文字の破壊力は並大抵の物じゃない
新田原を「にゅうたばる」と読んだ人は少なくない筈 ワシもそうじゃ
なんちゃって床置きバルブ
山陰方面にもそのうち行きたいね
そのうちなんて言ってる間は行かないんだろうね
崩れ始めた天気が回復することを祈りながら眠りについた
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拙い文章でしたが最後までスクロールして頂きありがとうございました
こんな文章でも1日分の振り返りをするのに2,3日掛かってる現状
なんで実際旅行するよりも振り返りの方が長いんだよ
今年中にこの旅行の分は消化しときたいなぁ
年始にまたすぐおでかけだし
次の日は駅巡りをしつつ、東へ東へと移動して松山まで
山口の広さをガッツリ思い知らされるのであった・・・
つづく