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5日目 9月7日(木曜日)のつづき
プラハ城から逃げるようにトラムに乗り込み、昨日ぶりのプラハ本駅にやってきた。親子の像が見つめる先には、小さなレールバスがぽつんと佇む切欠ホームがある。日本の国鉄駅の0番線みたいなもので、ここでは1a番乗り場と呼ばれている。
全長14m弱の短尺のボディながら、一丁前にデッキで仕切られた客室には3+2列のボックスシートが10組ばかり鎮座している。このゆったりとした幅が、何とも間抜けで可愛らしいお顔の要因である。座席はベンチシートのようなものを想像していたが、改修によって前日乗ったECの客車と似たような座席になっていた。
このチェコスロバキア生まれのレールバス、名を810形ディーゼル動車といい、一部界隈からはその形式名からレールバス先輩と呼ばれ親しまれているとかいないとか。
先人たちによると、途中のZličín駅まではプラハ市内の観光用に購入した24時間チケットでも乗車できるとのことなのでそこまで行ってみる。Zličínではトラムに乗り換えられるので好都合だ。
定刻より数分過ぎた頃、小さな車体をぶるぶる震わせてプラハ本駅を出発した。すぐにトンネルをくぐり、トラス橋でブルタバ川を西へ跨ぐ。川沿いには高さの揃えられた建物がずーっと並んでいる。プラハらしい景観だ。対岸で南に90度進路を曲げたところで停車した。百貨店に突っ込んで停まったならば東武浅草だが、目の前に広がるのは貨物ヤードのようなところだ。あまりに殺風景で旅行しているときには気付かなかったが、ここもどうやら駅らしい。
ここはSmíchov severní nástupiště、訳すとスミーホフ駅北側ホームとなる。チェコ西部方面へのターミナルとなっている駅の片隅で客扱いをするこのホームは、ターミナルと直接繋がっておらず、非常に不便らしい。そんな北側ホームはスミーホフ駅に統合され23年の9月末で役目を終えたとのことだ。図らずも乗り納めすることが出来た。
再び動き始めた列車はヤードの端で右に進路を向ける。ブルタバの西に広がる台地に乗るために大きなカーブを描いて高度を上げ始める。ヘアピンカーブで向きを北に変えたと思うと、再び90度のカーブでスミーホフに背を向ける。スミーホフ駅直上の台地に6km程の遠回りでやってきた。
勾配区間を走り終えて一息つくように惰性で森の中を滑り抜けてゆく。車窓に目をやるとちょうど小さな駅を通過していた。時刻表を見る限り各駅停車だと思っていたのだが、希望の駅で降りれない可能性が出てきた。デッキに出てオロオロしているとドアに睨まれた。助けてほしい。
引き続き車内を捜索していたら停車リクエストのボタンを発見した。なにやらランプが灯り、停車してもらえそうな雰囲気がある。無事にZličínに到着した。
Zličínにも航空写真で見ていてちょっと気になる場所があるので現物を見に行く。
地図中の赤線部に、国鉄とトラムとを結ぶ短絡線の存在が気になっていた。駅舎の表玄関を軌道が横切っているようにも見える。
実際に駅舎の前を連絡線が通っている。レールは錆びていて最近使われた形跡こそないものの、雑草で覆われることもなく架線も張られたままだ。
そして、想像と違っていたのは反対側の景色だ。てっきり素直に線路が繋がっているものだと思っていたから、これを見たときにはしばらく脳が処理しきれず固まってしまった。
接続部を観察してみる。壁にフックとバッファーが取り付けられている。これを用いて貨車を留めていたのだろう。レールは鉄道模型のジョイナーを思わせるような形状をしていて、こちらも貨車と噛み合うのだろう。
この設備を一体どのように使っていたのか、タイムラインに問いかけたところ以下のURLが送られてきた。
Smyčka Sídliště Řepy kolejové propojení Zličín
実際にここで車両の載せ降ろしをしている写真が載っている。スミーホフ市街にあったČKDタトラの生産拠点をズリチーン駅の南方に移したら、国鉄線を跨ぐための設備が必要になったという訳だ。ČKDタトラのあれこれを深掘りしていたら記事の進捗が一向に進まなくなってしまったので割愛する。
Sídliště Řepyから9系統に乗り込み再び中心街に戻る。気付けば時刻は午後1時前で空腹を感じ始めている。ここらで昼食の時間としようか。
つづく