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4日目 9月6日(水曜日)のつづき
地下鉄のホームから鉄道駅に向かって出てきた場所は、1~8番線のホームの上のコンコースだった。ひとまずこの後乗る列車の時刻と発着ホームを確認するため、ホームの時刻表を確認しておく。
なかなか見つからずウンウン唸っていたところドイツ語で声を掛けられた。顔を上げると裏側を指さすジェスチャー。ずっと見ていた時刻表は「Ankunft(到着)」で、裏側に「Abfahrt(出発)」があった。教えてくれた老紳士にお礼を伝え、EC175の文字を探すとすぐに見つかった。
Berlin Hbf 13時01分発のEC175列車、こいつが私を次なる国へと連れて行ってくれる。
列車の時間まではまだ1時間ほどあるので、駅舎の外も少しぶらついてみる。
駅の南口に出ると、周囲の景色を複雑に反射するガラス張りの建築が目に入る。これはCube Berlinというオフィスビル。
背後の建物と道行く人を上から眺めたような視点が混ざり合う不思議な感覚に包まれる。
駅の南を流れるシュプレー川の対岸には、国会議事堂や連邦首相府といった国の重要施設が立ち並ぶ。
散策していたらいい具合に小腹が空いてきた。中央駅には様々な飲食店が入っているのでどこにしようか迷う。
結局ナルズに吸い込まれてしまった。ファストフードは大体タッチパネルを使って非対面で注文できる。国内外問わずコミュニケーションが不得意な小心者には大変優しい。
味は皆さん御存じの通り。世界的チェーンの安心感を享受してしまった。攻めの姿勢が足りてないんじゃないか?
空腹を解消したのでホームへと戻る。
ひっきりなしに列車が出入りするのでホームに居るだけでも飽きない。というか、興奮が収まらない。
ホームを眺めているうちに、モニターにはEC175列車が表示されていた。どうやら5分程度遅れているようだ。列車を待つ人たちが徐々に集まってきてホームが狭くなる。
サイレント遅延を食らい待つこと約20分、水色と青を纏った機関車が、これまた水色と青の客車を連れて颯爽と現れた。
ドイツ北部、デンマーク国境の街 Flensburgからやって来たこの列車は、ベルリンで大半の乗客を入れ替えて発車に備える。チェコ鉄道のチェコ行き列車ながらドイツ国内の輸送も担っているようだ。
チケットと客車番号を照らし合わせて乗車する。通路は込み合って中々前に進まない。ようやくたどり着いた自分の座席には老婦人と大きなスーツケースが鎮座していた。
拙い英語で声をかけて席を空けてもらった。ついでにやり場に困って通路にはみ出ていた彼女のスーツケースを棚に持ち上げた。
席に着いた頃、列車は私の背中の方向にゆっくりと加速し始め、ベルリンに別れを告げた。これはベルリンが恋しすぎて座席を後方に向けているのではなく、そういう座席を引いてしまったからである。
一応説明しておくと、欧州の大半の列車には座席の回転機能が付いておらず、客車もどの向きで来るか分からないから前向きに座れる保証がないのである。それでも渡航前の私はこの理不尽に少々抗って見せた。YouTubeで「EC175」と検索して出てきた動画の編成を観察し、客車構成と向きの傾向を分析した。自分なりにベストを尽くして予約したが、結果は先述の通りだ。無駄な抵抗はやめ、欧州の広大な鉄道網に身を委ねるというのも悪くはないだろう。
ベルリン市街地を抜けると景色はすぐに開けて、広い空となだらかな土地だけが見える。Dresdenの街に着くまではこんな景色が続くだろう。客車は非常に滑らかに大地を転がり、振動も音もしない。モニタに表示される速度を見なければ時速100km以上で走ってるとは思えないほど快適だ。電源も無料WiFiもあって至れり尽くせりだ。座席の向き以外は。
日本では味わえない幹線客レの旅情に浸りながら、あることを思い出して引っ掛かっていた。先ほど老婦人の荷物を棚に上げた際、彼女がどこで降りるのかを訊きそびれていたのだ。彼女が下車するときに自分が不在だと困るだろう。でもこういう時に自分から話しかけるコミュニケーション能力がない。
ひとりモヤモヤしていると、「Dresden Hbfで降りるから、その時に荷物おろしてくれない?」と頼まれた。もちろん、と答えてこちらのモヤモヤも晴れた。
約束通り荷物を下ろしたDresden Hbfでも半分くらいの乗客が入れ替わった。近くの席には韓国人の6人くらいの家族が座ってきた。この列車の向かうチェコは韓国人に人気の旅行先らしい。
エルベ川を遡るようにして列車は南へと向かう。そろそろ良い頃合いだろう、という事でこの列車の一番のお楽しみである食堂車に向かった。食堂車に入ったのは、チェコに入る直前のBad Schandauの到着放送が流れた時だった。
昼下がりの食堂車は程よく席が空いていた。皆ビールをちびちびと飲みながら景色を眺めていた。私は事前情報により景色の良いとされていた進行方向左手のテーブルに陣取った。
チェコのビールといえば言わずもがなPilsner Urquell。チェコ鉄道(ČD)の食堂車はピルスナーウルケルを樽で積んでるというから飲まない理由がない。おまけにこの時間帯はハッピーアワーで半額ときた。舞台が整いすぎている。
メニューを持ってきたウエイターが「とりあえず何か飲むか?」と尋ねてくるのでまずはピルスナーウルケルを注文。程なくしてずんぐりむっくりとしたフォルムが可愛らしい黄金色が運ばれてきた。誰に向けるでもなくグラスを掲げて一人乾杯。爽やかな苦みと、クリーミーな泡の甘みとのバランスが最高で、自覚できる程にニヤニヤが止まらない。
喉を潤したところで手元のメニューに目を向ける。ページをペラペラ捲っていると「今出せる食事はこれだけだよ」とウエイターがメニューを指さしたŠpanělský ptáčekは、自分も目をつけていたのでこれを注文。
ソーセージ、ピクルス、ゆで卵などなど、様々な具材を薄く叩き延ばした牛肉で包んだチェコ料理。
コクのあるソースは牛肉にとても良く合うし、ライスにも合うし、なによりビールが進む。
そして意外にも、ライスが美味しいじゃないか。これはもう、お米って呼んでもいいんじゃないか?ストックホルムのスーパー飯でボソボソ米を味わって以来、ヨーロッパではお米に会えないんだな、と諦めていた。
このソースなら松屋の世界紀行シリーズで天下取れるんじゃないか、と思えるくらいお米との相性が良い。
Španělský ptáčekをぺろりと食べ終えてピルスナーを流し込んだ。列車はいつの間にか国境を越えていた。鉄路での国境越えはこれが初めてだ。
左手でゆったりと流れるエルベ川はチェコに入ってラべ川と名を変えて、相変わらずゆったりと流れている。川に筏を浮かべ、列車を見ながら酒を呷る人々を見かけた。ぜひ私も仲間に入れてもらいたい。
夢中になって車窓にカメラを向けていると、向かいのテーブルの男性に声を掛けられた。彼の手には、私も今回の旅で愛用しているGRというRICOH製のカメラが握られていた。平たく言うと遠いヨーロッパの地で”同志”と出会ったのだ。
彼が持っているのは換算28mm相当のGR3で、私のは換算40mm相当のGR3x。「そっちのも欲しいと思ってるんだ」というと彼は深く頷いた。
彼はラべ川の対岸、切り立った崖の上を指さして「昨日あそこでこの写真を撮ったんだ」そう言ってGRのモニターを見せてくれた。岩場から川を見下ろすように撮られたその写真は、少しひんやりとした山上の空気感まで映しているようだった。
やっぱりこのカメラ好きだなと改めて実感すると同時に、もっと色作りを突き詰めていける奥深さがあるなと思った。
その後もGRについて語り合い、食堂車での時間は大変有意義なものになった。
勘定を済ませて席を立つ際、GR3の彼に別れを告げるついでに、普段なら出ないであろう勇気をちょっと出して「記念に一緒に写真撮らない?」と誘ってみた。彼は快くOKしてくれた。どこから来た何者なのかもお互い分からないが、この出会いは忘れないだろう。向こうもそうだと良いな。
大変気分よく食堂車を後にして自席に帰った。Dresdenからの隣席の乗客はどこかで下車していたようだ。冷静に考えてみると、盗られたらシャレにならない額のカメラとレンズが入ったバッグを棚に置いたまま席を離れていた。ブランデンブルク門でスリ疑惑の集団に囲まれておきながら危機感が無い。
食後の眠気と戦っているうちに列車は速度を落としながら終着駅のPraha hl.n.(プラハ本駅)に到着した。
午後6時のプラハはまだまだ明るいが、脳が早く寝床に行けと言ってきかない。もったいない気もするがここは大人しく宿に向かうこととする。
メトロC線に乗って2駅、ホテルのあるI.P.Pavlovaへ。
階段を登って地上に出ると、すぐにプラハに来た目的ともいえるタトラカーに出会えた。宿はすぐそこなのだが、行き交うトラムに足止めされて30分ほど居座ってしまった。
チェックインを済ませて通された部屋は広々としたツインルームだった。当然先客はいない。ドミトリーが3泊続いて色々と限界を迎えていたので、ひとまずシャワーを浴びた。
どこかへ晩飯を食べに行こうかと考えながら少し横になった。いつの間にかしっかり寝てしまっていたようで、次に目が覚めた時には真夜中だった。こうしてチェコ1日目は終わった。
つづき
ちなみにGR3xを購入した話はこちらでちょっと触れている