2023年3月、コロナを挟んで3年ぶりの韓国に行った。
海外欲に脳を支配された連中が限界を迎えた様子で、この頃のタイムラインでは毎週のように誰かが何処かへ飛んでいた。
TLで流行ったその”病気”は他人事ではなく、流れに便乗するように私もお隣りの韓国へ。
初韓国3名を引き連れての旅行は新鮮でなかなか楽しかった。
同行者が旅行記を書いているので読んでほしい。
これで海外欲が解消されるかと思ったらそんな事はなく、症状は悪化する一方だった。
帰国後の患者はスカイスキャナーとのにらめっこに負けて、eチケットお客様控が発行されました。
てことで5月末に今年2度目の韓国に行きましたとさ。
5月26日金曜日
成田から乗ったのはエアプサン BX111便
2004年から飛んでるアシアナのお古なのでどこか懐かしい感じがするが、座席間隔が広々としているおかげで非常に快適だ。
往路では不要だったが、受託手荷物が1個無料なのも嬉しい。
あとCAさんの制服が好み。
通路側C席で時折窓の外をチラ見しながら2時間ほどウトウトしていた。眼下に見えるは分厚い雲だけだ。
その灰色の雲を突き破って陸地が見えて数分、釜山金海国際空港に着陸した。
飛行機を降りた先にはタラップとランプバスが待っていた。
沖止めでもないのに、すぐそばにあるボーディングブリッジは使わせてもらえないらしい。
タラップを降りて2か月ぶりに釜山の地面を踏む。
ぎゅうぎゅう詰めのランプバスは、転回地点の都合か知らんが随分と遠回りで国際線ターミナルへ向かった。
歩いた方が早かったんじゃないか?
K-ETAとQ-codeを提示するとサクッと入国できた。
空港に着いてあれこれ記入しなくていいのは非常に良い。
なんだか気の抜けた顔をしたカモメがお出迎え ブギという名前らしい
ターミナルを出ると正面に軽電鉄の高架が見える。
ホームに上がると2両の電車が滑りこんできた。
日本のAGTを三線軌条にしたような格好だ。
折角なので釜山の中心部とは反対側に向かう電車に乗ってみる。
無人運転なので前面展望し放題だ。
空港を出てすぐに景色が開けた。
田んぼを高架が突っ切って2両のまるっこい電車が走る光景を、過去にどこかで見た事があるような気がした。
記憶の奥底を辿ると、幼稚園の頃に茨城で見た景色がよみがえった。
幼稚園のサッカークラブの合宿に行ったときの話だ。ひたちなかに向かうバスの車窓を眺めていた私はなんらかの線路を発見した。
するとその線路の上を、なにやら流線形のでんしゃが走っているではないか。
「茨城のこんな田舎にゆりかもめみたいなのが走ってるのか!」と興奮した。
その出来事から10年ほど経ってから、それが鹿島臨海鉄道の7000形であったと知ったのだった。
あの時の勘違いを具現化したような路線に感動を覚えた。
少し話が逸れた。
鹿行地域と似たような単調な風景に飽きたので、大渚駅で地下鉄3号線に乗り換えた。
3号線を乗り通して終点の水営まで行く。
途中駅で空席が埋まり、2号線の乗換駅である徳川駅ではハルモニが乗ってきたので席を譲った。
儒教が根付いた韓国では実質全席優先席のような空気があるのでそれに従った。
席が埋まった時にこっそり調べた「여기 앉으세요」が早速役に立った。
席を譲るとハルモニはその席に座って、代わりに私のリュックサックを持ってくれる。
荷物を受け取ったハルモニが何か言った。リアクションからして「重いね」とかそんな感じだろう。「カメラが入ってます」と答えた。
どこから来たの?とかどこを観光するの?とか、ハルモニの質問攻めにあう。
その後も韓国語でいろいろ質問してくれたけど、簡単な韓国語も習得してない私が首を傾げているのを見て英語に切り替えてくれた。
互いに片言の英語でお話しする。韓国訛りと日本訛りの英語でのぎこちない会話だ。
こうした体験をするたびに、「ちゃんと韓国語を勉強してくればよかった」と痛感する。
隣国から来た旅人に優しく接してくれる韓国人に申し訳ない気持ちと、コミュニケーションをとれていたらもっと楽しかっただろうなという気持ちでいっぱいになる。
毎回そういう出来事があるのだが、なかなか本腰を入れて学ぼうとはしないのである。
自分の弱いところが出てる。
そんなこんなで辿り着いた終点の水営で2号線に乗り換える。数駅乗ると車内にカモメの声と波の音が響き始めた。地下を走っていた電車が波打際に出てきた。
……訳ではなく、海雲台駅の到着放送だ。
海水浴場の最寄り駅では海を感じさせるような音が流される。
外の景色が見えない地下鉄ならではの粋な演出だ。
駅を出て南にまっすぐ伸びる通りを進むと砂浜に出る。ここが海雲台海水浴場だ。
砂浜には巨大なサンドアートがいくつも並んで観光客を出迎えている。いずれも万博がモチーフになっている。
空港も、駅も、観光地も、2030 BUSAN EXPOでいっぱいだ。
3月に来た時には「もう釜山で開催されることが決定したのかな?」と思ったほどだ。
開催が決まる前からそう思わせるほどのこの国の持つエネルギーには感心させられる。
天気がいい日には対馬まで見渡せる海岸に腰かけて、道中のコンビニで仕入れた焼酎を呷る。
ほのかに甘みが香るまろやかな呑口だ。
韓国には各地方にご当地焼酎がある。これはかつて韓国に存在した「一道一社(1つの道*1に1つの焼酎酒造業者)」という制度の名残だ。
この制度が撤廃された後も、各地に地元のブランドが根付いている。
ほろ酔い気分で浜辺を後にして、駅の方へと戻る。
地下鉄の駅を通り過ぎて少し歩いた場所に八角屋根の建物がある。
これは東海南部線の新線移設により2013年に廃止された旧・海雲台駅の駅舎。
現在はギャラリーとして使用されているらしい。
駅舎の脇を通って線路跡の方へ行くと、そこにはプラットホームが残されている。
軌道が草花で覆われた様は、休止状態にある根室本線・落合駅を思い出させる。
乗車位置案内や駅名標の痕跡が、確かにここが停車場であったと訴えかけている。
アメロコ牽引のムグンファがゴトゴトと音を鳴らしてホームに入る。手すりに手をかけ客車のステップを登る乗客。
大都市のビル群に囲まれて肩身が狭そうな交換駅の姿が私の脳内では鮮明に映し出されている。
駅としての使命を終えたホームは、今も人々が行き交う憩いの場としてこの地に残っている。
釜山の海の要素を軽く拾ったら日が暮れ始めたので、オヨルを求めて彷徨うこととする。
放浪場所に選んだのは釜山の代表的な観光地である国際市場。
ちゃんと調べてはいないが、いい感じに呑める屋台とかがありそう。
地下鉄2号線、1号線を乗り継ぎチャガルチ駅で降りる。
駅から市場までの道は飲み始めた人達で賑やかだ。そういえば今日は金曜だった。
雑多な食材を並べて売る光景で韓国に来たなと実感する。
これらの店はぼちぼち片づけを始める時間だ。
すると、どこからか列を成して屋台の大群が押し寄せてきた。
所定の位置に着くと開店準備を始めた。
19時30分、これから「夜市場」が始まる。
人が並んでる屋台で何が売ってるのか覗いてみると、焼き鳥とか焼きそばとかケバブとか。別に韓国でわざわざ食うもんでもないな。
鉄板でジュージュー焼いたサムギョプサルを目の前で巻いてくれる。
タレがなかなかに美味だ。
市場のはずれにミルミョンを扱う店があったので入ってみる。
朝鮮戦争で平壌から避難してきた人々が、蕎麦粉の代わりにアメリカからの支援物資の小麦粉で冷麺を再現しようとしたのがミルミョンの起源とのこと。
程々に腹が膨れてきてから気付いたのだが、酒を飲んでない。困った。
つまみと酒を求めて通りに出る。
屋台通りの海寄りには海鮮の屋台が密集している。
エリアによって扱うものも変わるみたい。
粉食の屋台に転がり込んだ。おばちゃんがワンオペで切り盛りしている。
まあまあな量が出るので二人で分けるぐらいが丁度いい。値段的にも。
地元のお客さんはオデンの出汁を勝手に紙コップに注いでちびちび飲んでいた。
地下鉄の終電観測でもしようと思っていたのだが、程よく酔っ払い気持ちよくなってどうでもよくなってしまった。
さっさと宿に転がり込むことにした。
1号線で北上、蓮山駅で下車。
5番出口から徒歩1分ほどの雑居ビルにある24時間営業のチムジルバンが本日のオヤド。
₩12,000で大浴場・サウナ・仮眠室が使えるので雑に夜を明かすにはちょうど良い。
店によって規模は違うが、日本の銭湯とスーパー銭湯の間くらいのものを想像してもらえると良い。今回のはそのくらいだ。
館内着があり寝間着要らずなのも旅行者に優しい。
なお観光客が来る場所ではないので当たり前だけど韓国語以外の案内はない。
大浴場には4つの浴槽と2つのサウナがある。
クソ熱い湯、普通の湯、バスロマンみたいのが入ったぬるま湯、そして左記の3つを足したくらいの面積がある水風呂だ。ちょっとしたプールと同じくらいデカくて、実際におっさんが泳いでいる。
サウナはぬるめのスチームサウナとあっつい乾式サウナの2つ。
乾式の方は異常に熱かった。一歩踏み入れた途端にまず足裏が焼かれる。
耐えかねて椅子に腰かけると今度は尻が焼かれる。床も椅子も石なので休まる場所がない。
尻が熱を感じなくなってきた頃、一人のじいさんが入ってきた。
彼は椅子に腰掛けるでもなく、スクワットを始めた。どうかしている。
数分間スクワットをした彼はそそくさとサウナを出て水風呂で泳いでいた。
後でちょっと真似したら死ぬかと思ったのでもうやらないことにした。
くたびれたマットと枕で陣地を取る。ここをキャンプ地とする。
横になってほどなくして眠りに就いた。
翌日につづく
*1:道:韓国の行政区分